大学と自由研究の話
4年生になってから大学に行くのが週1になった。
すでに単位は取り終わってるけど付き合いで
主に1月にある発表会に向けてプレゼンの準備をしている。
現在在籍しているゼミは4年後期からのものであるため、自分はそれまでの経過には携わっていない。
そのため、最近資料作成の段階でよく「先の見通しを立ててアンケート取っとけよ」と思う。
他人の仕事を上から目線で非難するのは良いことではないけど、何の目標も立てずに資料集めてもやっぱりとっちらかった発表になるだろうに。
研究の流れは、主題→予測→実施→まとめだったはず。
こういう流れは中学校の自由研究なんかでさんざん学んできたはずなのに実際に実行する段階になると皆頭からすっぽり抜けてしまうみたい。
こうやって非難している自分だって当時の自由研究はさんざんで、あまりの内容の酷さから今でも何をテーマにどういうことをしたかまで殆ど覚えてるくらい。
自由研究といえば
そもそも大学は本来、自由研究みたいなことを4年間かけて好きに行える場所なんじゃないのか、と最近卒論に取り掛かるようになって思うようになった。
興味を持った分野に対して専門知識を得つつ自分の研究に活かし、卒業論文という研究結果を発表する、というのが本来の大学生の在り方ではないのかと。
まぁ、今頃になって卒業論文に取り掛かるような自分も大学生失格ではあるんだけれど
たぶんその意味では本来の目的で大学に来ている人なんてほとんどいないと思う。
そもそも高校を出たばかりの子供にそんな高尚な思想を持て、というのが土台無理な話だ。
18年しか生きてない子供に「自分が4年間費やしてでも研究したいことは何」って聞いたって答えられるのは少数だろう。
思うに「高校卒業したら次は大学」っていう社会の通念自体が間違ってる。
大学はむしろ、1度社会に出て、様々な経験を積み、人生に一区切りつけてでも何かを研究したいと考える物好きな大人の為の場だと考えるようになった。
そう考えると自分も大概馬鹿なことを現在進行形でしてるなぁと自己嫌悪に陥る。
ちゃんと目的をもって大学に入った上坂すみれさんなんかの例を見ると、たとえ構内ぼっちで、学んだことがその後の職業にほとんど反映されてなかったとしても彼女の4年間は自分なんかよりよっぽど充実していたんだろうなぁと改めて尊敬する。
4年間を自分が大好きなロシア文化という趣味に余さず捧げられたんだから
思うに自分の何が間違っていたかというと、大学選びの段階からずっと間違え通しだったのだと思う。
高校で真に学ぶべきは大学入試のための勉強ではなく、若い時期の4年間を潰してでも学びたいと思える何かだった。
それが見つかっていれば現在の自分は「なんとなく」「目的無く」なんてスタンスではいなかったんじゃないか。
目的の無い4年間は確実に自分の何かを駄目にしたと思う。
もしも今後彼女のように多くの犠牲を払ってでものめりこみたい何かを見つけたときには、許されるなら今度こそ本当の意味で充実した大学生活を送りたい。