二次創作(SS)と創作の話
ネットを閲覧しているとよく「SS」という単語を見かける。
SS とは、サイドストーリーまたはショートストーリーの略。主にファンによる非公式の二次創作小説を指す。
が、昨今は一纏めに一次創作小説についても、使われるケースが増えている(成り立ちからするとおかしいが)。
一部界隈ではFF(ファンフィクションの略)とも言われる。
らしい。
特に自分の好きな作品のSSだと少し読むだけだったはずが、関連SSから別の作品を題材にしたSSにまで手を伸ばし気づけば数時間経っている、ということもままある。
今日は特にひどかった。
ネット上にこんなにもSSがあふれているということはそれだけ創作活動にいそしむ人間が居る、ということだ。
文章の正しさや構成の妙を評価できるほど肥えた目は持っていないが、短く・借り物でありながらも作品を1本書き上げる技術は純粋に凄いと思う。
特に途中で挫折した経験があれば。
恥ずかしいことに自分自身、小学生の頃は宿題の有無を親に隠して本を読みふけっていたものだから、当然なのか「小説家」という職業に憧れていた。
当時小学6年生ながら2冊の本を書き上げて作家デビューしていた女子小学生がいたことも大きかったかもしれない(出版社からしてどうやら自費出版のようだが)
そこで4ミリ方眼ノートを一冊買ってそこに知りもしない異国人の名前をずらずらと並べてみたり、どこかで聞いたような特殊能力をさも自分のアイデアであるかのように書き連ねて設定資料集を作ってみたり・・・
しばらく経って「一体俺は何をやっているんだ」と恥ずかしくなってノート1冊をびりびりと破いてしまったが。
十年以上経ってみてから当時を回顧してみると創作者として大成するのは、自身で恥じいる事のないくらいの才能を持つ人間か、恥を知りつつもそれを圧してまで表現したいと思える人間だと思うようになった。
フィクションの中から掬い上げてみるなら前者は亜城木夢叶
で、後者は「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の黒猫だろうか
まぁ黒猫の場合は恥に鈍感なだけかもしれないけれど。
多分これは創作活動に限らず、行動のすべてに言えることだとは思うんだけれど
大成する人っていうのは周りの目を気にせずわき目も降らず自分のやりたいことに打ち込める人間だと思う
多くの自己啓発本にも書かれているし。
ただ自分の番が回ってくると知っているはずの理屈なのに頭から飛んでいたり、身体が着いていかなかったり・・・
来年から自分も社会人として働くわけだけれども、周囲の目を気にして自分のやりたいことを見つけられず腐っていっては苦心して県外行きを得たのにすぐ田舎に出戻ることになりかねん
周りから「何張り切っちゃってるの?」って言われてもあっけらかんとしていられるくらい恥に鈍感でありたい。