飲み会と奢りの話
資格試験も一区切りついたし、ほぼ1年ほどあってない後輩と飲みにでも行こうかなと日曜日に飲み会を企画した。
会社の飲み会や家族なんかとの飲み会はそこそこあったけれど本当にプライベートな飲みは久々
アルコールが入るなら車はNGだろうと久々に自転車→JR登校もしてみた
そんな日に限って最低気温3℃(+雨)
今年経験したことのない寒さと30分おきのダイヤにいじめられつつも学校に向かった
やっぱり半時間おきの電車っておかしいわ
今後本数も増える見込みないし鹿児島はいよいよ過疎化一直線やね
さて授業も終わり、中央駅にUターンして後輩たちと合流
持ち前の段取りの悪さをいかんなく発揮し10分ほど中央駅付近をウロウロ
少し早いけれど18:00にようやく目的の店に到着
やはり時間が時間だけにほかの客は居なく、そのため声も心なしか伏せがちに
それでもアルコールが入ると徐々に下の回りが良くなる
他の客もだんだん入り出したのも遠慮を無くした要因だったかもしれない
ここ最近の話やら就活の話やら話すたびに話題に上る鉄板ネタ等、話してるうちに気づけば11:00になっていた
飲み放題が終わってゆうに3時間近くが経っている
何と迷惑な客だっただろうか
さて支払いの話だが
自分から誘った段階で全員分の料金は出そうと決めていた
それは部屋の片づけによって臨時収入を得ていたことや年上という立場のふるまいをこれまでできていなかったことに起因してる
要は払いたくて払っていたわけだが
ただ
この「奢り」っていう文化、なんだか自分が体験してみるとどうにも自己満足って気がしてならない
他人に金を出すっていうのは別に罪ではないし出した自分も別に悪い気はしていなかったが翻って受けた側の心境を考えると必要以上に罪悪感や申し訳なさを感じてしまうのではないかと
自分だって今までサークルやバイトの先輩に代金を出してもらったことは1度や2度ではない
その都度、先輩に感謝や申し訳なさを感じていたが耐えがたい苦痛というほどではなかった。
自分がひとたび奢る立場になってこんな風に思ってしまうのは加害妄想だろうか?
今後他人にお金を出してもらうことも1度や2度ではないだろうし、それと同じだけ他人にお金を出すこともあるだろう
そのたびにどちらの立場に立つにしても周囲に悪感情を抱かせないような心配りを仕事のスキルと並行して身につけなければならない
コミュ障の自分は特にね。