天邪鬼ですよ

致命的に素直さに欠けるにわかサブカルクラスタの日記

「英作基本文例600(600選)」とお勉強の話

昨日twitterにて「600選bot」なるbotを発見したのでフォローしてみたらなじみある英文が1時間に1回のペースで表示されて懐かしい気持ちになった。

高校時代には書き取りや小テストなどで散々苦渋を飲まされてきたコイツも高校生活を終えてみれば数年来の親友のような気持ちになる

f:id:motoki8230:20151130230155j:plainそもそも「600選」とは

鹿児島県高校教育研究会英語部会が「英語の基本的文型・表現を可能な限り習得し、基礎力・表現力の向上を図る」ことを目的として監修し1971年に初版が発行された。おおむね高校1年生を対象としている。

 

当初は県内の英語教諭が監修していたこともあり、直訳的な表現が多用されていたが、外国語指導助手(ALT)も監修に加わることで、口語的な表現も使用されるようになった。また、時代背景の変化に伴う文例の改変も行われている。               

                       (wikipedia参照)

 

 

 要するに鹿児島の高校生の敵である。

 

当時は手の運動にしかならない書き取りやペナルティしかないテストのせいで憎々しく思っていたが現在、勉強という義務から解放されて振り返ってみるとなかなかよく考えて作られてあるなと感心する。(特に『イングリッシュ・ディバイト』という言葉を知った後には)

 

社会人の習い事ランキングの1位が「英会話」っていうのも同じことで、今まで最低6年は勉強する機会が与えられていたのに社会に出てから自発的に勉強しだすのは、それが「まだ勉強する時期じゃなかったから」だと思う。

社会に出て英語の必要性や喋れないことの不便さを学んでからじゃなければ本腰いれて勉強できる人は少ないんじゃないか。

発展途上国の子供たちに学校を、っていうのは彼らが無学であることの辛さを身をもって経験しているからじゃなかろうか。

極論、カリキュラムを変えるか学校教育の前に社会を知れるような体験の場が在ったらいいのに。

 

現在、自分も「個人情報保護士」の資格の勉強と卒業論文の二つを並行して行っているけれど、特に前者に関して意欲的になれないのは自分の集中力の無さ以前に、個人情報保護士に対しての無知に起因していると思う。

他人から言われるがままの学習じゃ高校時代と変わらない。

 

思うに真の秀才は理解力があるわけじゃなく、勉強してまで成し遂げたい野望や経験を持ってる人間なんだろうね。

 

当然か

 

追記

今日の南日本新聞にこんな記事が載ってた。

俺も他人のリア充エピソードみてると孤独さを感じる。

辛い人生を送ってる人もいるんですよ。

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